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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)4001号 判決

主文

1、原告の請求を棄却する。

2、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

一、原告

1、被告は原告に対し、金三七〇万円及びこれに対する昭和三七年五月八日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

二、被告

主文と同旨の判決を求める。

第二、請求の原因

一、原告及び被告の地位

原告は白系ロシア人であつて、昭和一七年頃樺太大泊町に居住していたが、昭和一七年二月一五日、軍機保護法違反の容疑で逮捕され、大泊警察署に留置された。被告は、当時、大泊警察署勤務の警部補であつた。

二、被告の不法行為

被告は、谷森警部補外の警察官と共謀のうえ、昭和一七年四月三日から一五日までの間、連日深夜から早朝にわたり、同署において、原告を恐喝して虚偽の自白を強要し、或いは原告が供述しないことが記載してある供述調書への署名を強要し、さらに、その目的を達するため被告又は他の警察官において、原告を手拳又は竹刀で殴打し、足蹴にし、コンクリートの床の上や角材の上に坐らせ、手を後手にしばりあげ、水の入つた桶を頭上に支えさせたりする等あらゆる種類の拷問を原告に加えた。

原告は右の如き連日の強制、拷問の結果体力、気力ともに著しく衰弱し、最後にはほとんど意識喪失に近い状態になり、ついに、同月一五日深夜右の状態において虚偽の自白調書に署名するに至つた。

三、原告の有罪判決及び服役

原告は、その後軍機保護法違反罪により起訴され、昭和一八年九月一八日樺太地方裁判所において懲役二年に処せられ、上告したが、昭和一九年一一月一九日大審院において同罪により懲役四年に処せられ、巣鴨刑務所及び苗穂刑務所でその刑の執行を受け、昭和二〇年九月四日釈放された。原告はこのように昭和一七年二月逮捕されてより昭和二〇年九月釈放されるまで継続して、警察署、拘置所及び刑務所に拘禁された。しかしながら、これは全く身に覚えのない無実の罪による不当な拘禁であり、原告がこのような憂目をみたのは、前記虚偽の自白調書によるところが最も大きいのである。

四、被告の責任

官吏が故意又は重過失により私人の権利を侵害した場合には、たとえそれが権力的行政作用に基くものであつても、その官吏個人が民事責任を負うべき理は、旧憲法下においても肯定すべきである。そして、被告は前記のとおり警察官として、被疑者たる原告を取り調べるにあたり、暴行を加え、かつその結果精神的自由を奪い、内容虚偽の自白調書に署名するの余儀なきに至らしめたのであつて、これが不法行為であることはいうまでもない。従つて、被告は右不法行為により蒙つた原告の損害を賠償する義務がある。

五、損害

(一)、財産的損害

1、原告は、昭和一七年二月一五日逮捕された当時樺太大泊町において養狐場を経営し、次の財産を所有していた。

イ、針金一四番線で作つた狐舎六〇舎(一舎の大きさは約一・八メートル、長さ約一・八メートル、高さ約二・一メートル)

ロ、カナダ種繁殖用銀黒狐めす二〇匹、おす一〇匹

ハ、巣箱六〇個(めす用四〇個、おす用二〇個)

ニ、養狐場垣根 長さ約七二メートル、幅約三六メートル

ホ、養狐場敷地 約九九一平方メートル

ヘ、水飲み容器 八〇個

ト、えさ箱   八〇個

チ、狐の交尾観察舎並びに見張台

リ、飼料調理場及びその備品

2、原告は、当時訴外北海道拓殖銀行に対し、金二万円の預金債権を有していた。

3、原告が逮捕されて後は右財産は原告の妻とその両親が管理していたが、昭和一八、九年頃、同人等を含めて樺太在住の白系ロシア人は樺太庁の移転命令によりその住居を立ち退かされてどこかの部落へ収容された。その際一般の白系ロシア人に対しては、その財産的損害に相当する補償金が交付されたが、原告にはなんら交付されないまま、前記1、2の財産は放置され、朽廃散逸するに任せられた。それは、警察当局が軍機保護法違反容疑で勾留し、しかも拷問を加える程度に嫌疑のある者には補償できないという理由からであつた。

4、よつて原告は、前記1、2の財産を失つた。

1の養狐場の施設、狐等を現在の貨幣価値で評価すれば金一、三一二、五〇〇円となり、また2の預金を同様に評価すれば、金一、六八七、五〇〇円となる(当時は一〇〇円が二三ドル一六分の七に相当し、現在は一ドル三六〇円に相当するから、ドルを基準として、当時の金二万円を現在の円に換算するとこのようになる)。

5、かりに、前記3の主張が認められないとしても、原告は被告の前記不法行為により昭和二〇年九月まで拘禁されたため財産の管理ができずその結果前記1、2の財産を喪失したのである。

(二)、精神的損害

原告は、被告の前記拷問により、さらにその結果前記のとおり長期間拘禁され妻子と離別するに至つたことにより、多大な肉体的、精神的苦痛を受けた。これをかりに金銭で慰藉するには、肉体的苦痛について金五〇万円、精神的苦痛について金二〇万円合計七〇万円の支払を受ける必要がある

六、よつて、原告は被告に対して、不法行為による損害賠償として、前記の損害金合計三七〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和三七年五月八日から支払ずみまで民事法定利率たる年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、請求原因に対する被告の答弁

一、第一項のうち、原告の逮捕された日を除いては認める。原告が逮捕されたのは昭和一七年一月中である。

二、第二項はすべて否認する。

被告は当時大泊警察署水上警部補派出所勤務の警部補であつた。原告に対する取り調べは樺太庁特高課の谷森警部補が担当したのであつて、被告は同警部補の指揮下で原告を取り調べたことはあるが、自らもしくは他の警察官を指揮して又は他の警察官と共謀して、原告に拷問を加えたことはない。また、被告が原告を取り調べたのは、原告が逮捕されて後一カ月に満たない期間で、時間も昼間のみであり、その内容も原告の経歴や家族関係についてであり、犯罪事実の取り調べには谷森警部補があたつた。

三、第三項は知らない。

かりに、原告がその主張するように有罪の宣告をうけ服役したとしても、それは法の定める適正な手続によつて行われたにすぎない。

四、第四項は否認する。

旧憲法下においては、官吏の行為はそれが職務執行行為である場合には、それに基く民事上の責任は特段の法令の規定のない限りこれを負わないものであり、警察官の職務執行行為については、それに基く民事上の責任はない。

五、第五項は否認する。

かりに、原告がその主張する財産を失つたとしても、それは終戦により樺太における日本国の主権が失われた結果であり、被告とは何の関係もない。

第四、被告の抗弁

一、原告は、昭和一七年に被告から取調を受けたのであるから、その時に加害者である被告を知つたはずであり、従つて昭和二〇年中には不法行為による損害賠償請求権は時効により消滅した。

かりに、原告がその財産上の損害を知つたのが出所のときである昭和二〇年九月としても、昭和二三年中には損害賠償請求権は時効により消滅した。

二、原告が昭和一七年頃加害者が被告であることを知らなかつたとしても、被告が原告を取り調べたのは昭和一七年一月から二月中であるから、原告が本訴を提起した昭和三七年三月七日には既に二〇年の経過により原告の損害賠償請求権は時効により消滅している。

第五、抗弁に対する原告の答弁

一、抗弁第一項は否認する。

原告が加害者である被告を知つたのは昭和三六年である。すなわち、原告は、被告の姓については取調を受けた当時から知つていた。けれども、原告は被告の住所及び名のみならずその生存の有無さえ知らず、出所後いろいろ調査の結果、昭和三六年札幌法務局人権擁護部からの連絡で被告の住所及び名を知つたのである。

そして、このように原告が加害者である被告の生存の有無、住所、名前を知らず、損害賠償請求権を行使する手がかりさえ持たない場合には「加害者を知つた」とはいえない。けだし、短期消滅時効の制度は、「権利の上に眠る者は保護せず」との法理に基くものであるから、損害賠償請求権が現実に行使可能な状態にある場合に始めて適用されるものであつて、本件のように加害者を知るべく最善の努力をしたのにかかわらずこれを知ることができず、損害賠償請求権の行使が不可能である場合には、適用されるべきではないからである。

二、抗弁第二項は否認する。

原告が被告から拷問を受けたのは昭和一七年四月である。

第六、証拠(省略)

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